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2005年 02月 09日
「申年・厄年・閏年。」
「申年・厄年・閏年。」

2004年は、24年間生きてきた中で、
最も過激で劇的で激動な1年でした。

次から次へと、色んな事が降って、湧いて
一年中、あたふた・あくせくしておりました。

痛くて、切ない事が、山ほどだったけど、
その中にも、蛍のような優しさがあった。

その、今は亡き 蛍の優しい光が
2005年の私の、
大きな大きな活力源になるような気がします。


遺る★として、正式に歩み始めた2004年は、

ホームページが出来て。

「白いる。」と「命日。」を、発表させて頂いて。

閏年の、赤坂氷川神社での1stライブ。

続く、麻布die pratzeでの2ndライブ。

そして、Studio Lifeのホームグランド、
中野ウエストエンドスタジオをお借りしての3rdライブ。

と、実に活発な活動をさせて頂きました。

2004年中に、間に合わないだろうと思っていた劇団復帰も
12月2日という、運命の日に叶いました。

12月2日は、アルバム発売日でもあり、誕生日でもあって、

役者として再スタートを切った日としては、
とても神秘的な一日となりました。

 
実は自分の人生において、2004年の24歳というのを、
ずっとキーワードにして、日々を乗り越えてきたというのがあって、

2004年の24歳を迎える頃には、何かいい事があると信じて今までを生きてきました。

何かいい事とは、私の中で確かな救いを意味していました。

今、こうして、夢に乗せて目指してきた2004年の24歳も
終わりを迎えようとしています。

で、結局のところ、苦しかった心は楽になったのですか?と
問われると????

 「一向にそうでもなくて・ ・ ・ ・。」

 「あいかわらず、しんどい。」

自分が描いてきた理想の2004年の24歳とは違う、
リアルな現実が、そこには立ちはだかっています。

2004年の24歳を励みに、振り絞ってきた耐久心は解放されてくれる事はなかったし、
自分が、今まで命がけで信じてきた日々は一体何だったんだろうと、虚しくもなってしまいました。

 「生きる事は、やっぱり苦しい・ ・ ・ ・。」

今思えば、私にとっての、2004年の24歳とは
あの12月2日、たった一日に集約されていたのかもしれません。

 「だとしたら、ある意味、私は、もはや辿り着いてしまいました。」

私は、現実を受け入れなければ先は無い事を知ったし
現実が、こんなものだという事も分かったし
自分が何者なのかにも気づいたから。

 「そう。私は、まぎれもなく遺る★なのです。」

私は、私を、取り替える事はできない。

だったら、2005年は、どんな生き方をしていったらいいのか?

現実を受け入れたくない私にとっては、
今、まっすぐに歩行してゆく事は困難なのだが、

せっかく、外に出れた遺る★まで立ち止まらせたくはない。

 「これは、厄介だ。」


誰もがそうだけど、
生き物は死に向かって、一日一日を進んでいる。

私という人間が、表の人格で
遺る★という人間が、裏の人格なのだとすれば、

私が、死に向かって生き進む変わりに
遺る★は、生に向かって進んでいるのかもしれない。

つまり私が、きちんとした生を全とうすれば、
遺る★は、死してもなお生き続けられるという事だ。

 「私は、遺る★を、この世に遺してあげたい。」

遺る★が、ずっと忘れさられない事。

それが愛し愛された「愛」が消えない事に繋がっていると思うから・ ・ ・ ・

 「やれやれ。」
 
2005年も、どうやら私は必死に自分で自分を支えながら

継続して、生き続けるしかないみたいです。 

足掻いても、もがいても。

遺る★として、精一杯いたいけに。

よいお年を、願って・・・・・・・・・★



                            2004・12・29
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by ill621 | 2005-02-09 21:42 | Comments(0)